Emu’s blog

よくある日記

きっとその時は突然やってくる

 どうしても離れられないのは、私の好きなコード進行を使っているからで……と言い訳を頭の中でなぜか考えながらある音楽のことや彼を思ってしまう。「思う」というのはあてもなく空を旋回しているような感じであって、何かこう、ときめきを持ったり、あるいは憎悪などの感情を寄せたりという類ではない。ゆくあてを失くした感情はただ冷めていくほかない。過去は夢と大して変わらないほどに脚色されてしまった。彩度を上げすぎた写真みたい。

 作ることを暫く休んでいるけれど、何もしていないわけではない。勉強を少しやっている。今日も耳コピをして久しぶりにコードに向かっていた。コピーする前から分かっていたのだけど、この曲が私に対して妙に説得力があるのは、コード進行と伴奏部分の流れ方が私に馴染みのあるものだからだ。それでも、何か他に見落としはないか、どうして好きなのかを考える。細かい部分で好きなところが見つかる。でもより良くできる気もしていて、私は記憶と共に書き換えたくなる衝動を抱いている。

 具体的にいうと、好きな人と「この感覚」を共有したいという思いがある。「この感覚」というのは、単に音楽を一緒に聴きたいというものではない。聴くことで得られる気づきや幸福といったものと言えば良いのだろうか。作品から見出した煌めきを、一緒に発見したい。理想が高すぎると言われるかもしれない。でもきっとこの人とならできる気がしている。そうしてこの音楽にまつわるエピソードを閉じてしまいたいのだ。私は前を向いているのだから。

 永遠にそこから抜け出ることのないような循環コード的な音楽を違和感なくいじれる方法を探している。生活、時間においてもそう。回る環から抜け出したい。時間意識を解体したい。けれども、一歩が勇気のいることで、その後体力が持つのかという不安が拭えない。臆病というより、すでに疲れて弱りきった躰でどうやって生きれば良いのか分からなくなっている。回復を待っていたらすでに長い年月が経ってしまって、このまま弱っていく一方なんじゃないかという不安が募る。

 どうやっても人を傷つけてしまう、そして現在進行形で人を傷つけている。その現実の重みを私は受け止めきれずにいる。ユートピアなんて虚構の世界でしかあり得ないのだろうか。愛してくれる人を傷つけてしまう辛さに皆が堪えているのだろうという想像をすると本当に強かな人たちだと感心する。

 きっとその時は突然やってくる。不意にやってくる。周到に準備をしていたって無駄だということも分かる。だからこそ、私は今を悔いなく生きる。