Emu’s blog

よくある日記

自分で選択してきた集積に満足している一方で、息苦しさも感じている

 目覚めた。外はまだやや暗い。たくさん寝ていて良いはずなのになんだか早く起きてしまった気がする。枕の右隣の定位置にあるスマートフォンを手で探り当て、時間を確認する。この部屋には動く時計はなかった。そう、動かないオブジェとしての時計ならある。先日旅行に行った時に土産として買ったのだ。なぜ動かさないのかというと針の動く音が異様に大きいからだった。どの部屋に設置しても音的に悪目立ちしてしまうその時計は、結局私の寝室のインテリアとしてステンドグラスのランプとともに飾られることになった。

 5時半だった。あまりに早すぎる。早すぎるけれど、夜勤の人は丁度勤務中だった。私はその人に「目が覚めた」とLINEをする。もしかしたら返事が来るかもしれないという期待を拭いきれずに目覚めたなんてどうでもいいようなことを呟いてしまう。しばらくして返事が来ないので、再び寝たり起きたりを繰り返す。熟睡とは程遠い私の睡眠の質は、アプリによれば「友達以上恋人未満な睡眠」らしかった。何それ。

 ようやく起き上がる気になった頃にはもう夜勤の人が退勤する時間になっていた。あわててアイスコーヒーを淹れ、電話をかける。気持ちひとつで話題には困らなかった。そう、何を話すでもなく話すということが、互いに好意を持っている場合は可能なことに再度気づかされ、話した後しばらくそのことについて考え込んでいた。逆に気持ちが抜け落ちてしまった相手に対しては、上手いリアクションひとつも取ることができなくなってしまい、いわゆる「コミュ障」的な会話になってしまう。私は素直すぎる。

 話を終え、のろのろと出かける準備をする。今日はなんだかすごく人恋しい感じがして、落ち着かなかった。平日の誰もいないTLにかまってほしいと言葉を零すも、反応する人はいない。忙しい人たちばかりであるというのと、私と話せる距離感の人がいないというのと、そもそも私に魅力もコミュニケーション能力もないというのがフォロワーに筒抜けであるということ。このいくつかの可能性を考えながら、嫌々化粧をする。ベースメイクが嫌いだった。本当は顔をこの肌色のクリーム状のテクスチャーで覆いたくない、という感情が塗る時にいつも喚起される。肌の穴という穴を塞いでいる感じがたまらなく嫌だった。そう、閉塞感だ。「苦しい」と思いながら化粧を続け、なんとか外に出られる状態へと化けた。

 風が気持ち良い。気温も程よく、空も青い。引きこもりがちな私にはあまりに清々しすぎて何か心を家に置いてきてしまったような気にさえなる。散歩をしても良いなと思ったけれど、散歩をしている間あれこれと考えに耽るのも癪な気がして、なかなかいつも実行できない。今日もそういう日だった。家に心を忘れたまま雑用を済ませ、お昼を買う。今日はそんなにお腹が空きそうな感じではなかったので、サンドイッチにしようかなとスーパーをぐるぐる回りながら考えた。そういえば、Yちゃんのお昼はいつもサンドイッチだな。サラダも一緒に写真に載せていた。サラダとサンドイッチ。どことなくヘルシーな感じがして良い。今日はこれにしよう。

 早々に買い物を済ませた私は、再び家へと帰る。ベースメイクの閉塞感は嫌いなのに、カーテンを閉め切った閉塞的な部屋には安心感を覚えることを発見した私は、人の性質なんて案外いい加減なんだなと思った。ただ、部屋にいることに正直飽き飽きしている自分もいた。そして、この生活を窮屈に感じる自分もいた。苦しい。どうしてこんなに苦しいんだろう。じっとりと汗をかいた背中を鈍く感じとると、「多分暑いから苦しいんだ」という気持ちになったのでエアコンのスイッチを入れる。あ、電池が切れたんだっけ。新しいのどこだろう。とりあえず本体の電源を入れる。

 涼しくなってくると、幾分息苦しさも軽減されたように感じた。本を読んでいた。珍しく柔らかい文章の本を読んでいる。小説なんて年に2,3冊読むか読まないかくらいで、超のつく遅読である。だから読む本は選びに選び抜いたものが多い。けど、この本は違った。朝電話をした相手からこないだもらった本だった。借りた、のかな?どっちなのか良く覚えていないけれど、多分くれたんだということにしておく。さらさらと読める文章に、さらさらと入ってくる内容。砂時計のように時間とともに進んでいく話に、専門書にはない心地良さや面白さを感じていた。内容も息苦しさを感じている今の私には丁度良かった。旅行の話だったのだ。でも、私の息苦しさは彼女のように旅なんかで解決するものではなかった。もっともっと根深くて、どうしようもない問題だった。

 今まさに人生の岐路に立っている感じがしている。このままこの日常を続けるという選択と、日常と決別するという選択。「日常を続ける」のにも2つあって、新しい日常を受け入れるかどうか、という選択と、本当にこのままの状態を死ぬまで保持するという選択がある。親は私にいわゆる普通の人生を歩んでほしいと思っているし、他の周囲の人間も今のところそうなるだろうと思っているに違いないが、私はそこから一歩外へ出たい気持ちがますます強くなっている。人のために生きることを昔は選んでいたし、その道にいる間は死ぬまでそれをやり通せると思っていた。実際その道に進んでいればできたはずだ。でも、無理が祟って病気をしたことで私の人生は大きく変化した。一度こういう経験があると私は人のために生きられないんじゃないかという気がする。子のために生きたり、パートナーのために生きたり、そういうよくあることが私の自己中心的な性格のせいでうまくいかない気がするし、そういう性質を持っていると自覚しているのに、さも利他的に動けるように皮を被っている今の自分が憎い。なんだかこのままではいけない気がしている。

 感傷的な気分になった私は今こうしてまさに日記らしい日記を書いているわけだが、どうだろう。この日常、いつまで続けるんだろうか。続けられるんだろうか。本当に大切なものってなんだろう。肌の穴という穴にファンデーションを埋め込むような日常である。塗られた皮膚は平らになって、地の肌よりうんと綺麗になるし、色を上から塗ると映えてさらに綺麗になるいうことも分かっている。それに、メイクをすることで人に見られてもおかしくないのだという意識を纏えるのも重要で、ずっとずっと安心できる。安心できるのだけど、本当の肌はいつまでたっても本当の平らにはなってくれない。スキンケアには力を入れないの?と心の私が囁く。仮にスキンケアに時間とお金をかけたって、穴自体は埋まらないのも分かっている。どの道穴がある限りだめなんだ。そんな気になる。自分で選択してきた集積に満足している一方で、息苦しさも感じている。本当に強欲だと思う。でも何か捨てなければならない時期に来ているんだということも分かっていて、今、私は腕から溢れそうになっている宝物を歯を食い縛りながら抱えている。