Emu’s blog

よくある日記

願わくはこの1人の時間が永遠に続いてほしい

ひしひしと冬が感じとれる。今日はストーブをつけた。やっとの思いで衣替えをした。部屋を少し片付けた。めまぐるしい日常の中で、私は常に穏やかな時間を感じとっている。きっとこれが幸福なのだろうと思っていたり、思わなかったりする。衣替えをしたのだけど、洋服が全くなかった。去年の私は一体何を着ていたのだろう。本当に服がない。だから安価な洋服をネットで見ていたのだけど、やはり安価なだけあってすぐに着れなくなってしまうのだろうなということが素材の構成から感じ取れるし、好きな洋服はポワポワのアンゴラニットで、持ちの良さを考慮するなら論外の代物。その上8900いくらとこれまた微妙な金額。でも買ってしまいそうな自分がいる。いや待て、ここは質より数だ…質より数…と言い聞かせる。なぜ古着という選択肢が自分にないのか不思議だ。お店はすぐ近くにあった。身近な存在。古い人間らしい、私は古着を着ることに抵抗がある。新品を探すのがダルい。そういうわけで古着という選択肢はなくなってしまう。今度のデートで着ていける洋服がない。一体私は何を着ていくのだろうか。本当に困っている。困っているけど、古着は嫌だ。私はやっぱりわがままだ。

人の思いの吐露が好きだ。その断片を寄せ集めてどんな人なんだろうと想像する。中身が詰まっているような感じがする。今日ツイッターでフォローしてきた人がいたのだけれど、お店の料理の写真ばかりだったからブロックしてしまった。「中身がない」と思ってしまったからだった。中身の詰まった人が好きだ。考えていることは中身に違いない。私は考えていることを口にする人が好き。それ以外ならただひたすらに「行う」人も好き。この2つに当てはまらない人はほとんど興味がない。私の興味の範囲は狭い。ブログは私にとってまさに宝庫だった。いろいろな人のいろいろな考え方が見てとれる。それもツイッターよりもしっかりとした形となって。本当はコメントをつけたいのだけれど、はてなブログはてなダイアリーはどうもコメントしづらい空気があるように思う。もっと気楽にできたら良いのだけれど。

しとしと、いや、だらだらと続く雨に私は鬱屈とした気持ちを抱えていた。ここ数日は本当に気分が悪かった。でも、今日はあまりその気配がない。天気に影響されずにここまで気分良く過ごせるのはきっと1年の間でもそうないことだ。そういう日だったから片付けや衣替えが捗ったのだろうと思う。1人で過ごすことに寂しさを感じることなく過ごせる。快適。度々連絡を入れてくれる彼のおかげかもしれない。

時々人に対して粗雑(ぞんざい)な扱いをしていないだろうかと気にかかる時がある。今日はそんな日で、いろいろな関係に対して1人反省会をしていた。いつの間にか関係が切れたケースで「いや私は悪くない」という考え方になってしまうのがおかしく感じられた。そして、関係が切れる前に少しだけ戻りたくなった。今が霞んで見えるわけじゃないけれど、あの頃は良かったな、なんてベタなことを思ってしまう。

触れる指が僅かに温かかった。やや体温の低い彼でも温もりはあった。抱き合ったときの感触を思い出しながら私は話をしたり、食事をしたり、今こうやって考えたりしている。着る服がないと思ったのも、彼に会うことを頭の中で強く意識していたからだった。早く会いたい。J-POPの歌詞はいつも「会いたい」で、なんだこいつらいつも会えてないな、などとウンザリしながら聴いていたのだけど、J-POPのように会いたくなる時は私にもある。そう、会えない時が常になっている今は会いたくなって当然だった。会って、触れることしか考えていない。幼い子どものように、無邪気に求めていた。幼い愛し方で良い。

私の感情のじんわりとした温かさとは裏腹にEVANESCENCEの切なくひやりとした音楽が部屋に鳴り響いている。彼の手書きの文字がアップされているのを見る。詩だった。また文字が読めない。漢和辞典を常備していないといけないなと思う。それにしてもやはりバランスの取れた良い字を書く。私がもっていないものを彼がもっているということになぜか羨望よりも安心感を覚えるのだった。願わくはこの1人の時間が永遠に続いてほしい。そう思える1日だった。