Emu’s blog

よくある日記

夢との境で苦しんでいた

しんどさと心地良さが交互に来ているようなここ数日。夢の中を泳いでいるような感覚にもなる。今日は良く眠れなかった。息苦しくて目が覚め、思考の渦に飲まれ、苦し紛れにLINEをしている途中で思考がダダ漏れになり、その涎を拭わなければならなかった。その間寝ていたのかもしれない。良く分からないけれど、夢との境で苦しんでいたのには違いない。

このここ数日の余裕のなさは一体何なんだろう。縋るように生きている。何がそうさせているのだろう。悩みはいくらかあるのだけれど、そればかりが原因でない気がしてきた。しかし、鬱と呼ぶにはあまりに元気が良すぎるし、思考だけが鬱状態化するなんて症状聞いたことないので、おそらく正常の範囲なんだろう。

某漫画家と連絡を取り、近況を報告すると、やっぱりそうきたか、というような感じの感想をいただく。まあ、そうだよね。私傍から見たらそんな感じだよね。詳細を書くことはやめておくけど、私は以前からどこかおかしい。ただ1点だけ反論したい箇所があって、私は男を見る目がないということはありえないのだと思う。それは社会的な、いわゆる客観的な捉え方をしても今までの人たちは立派だったし、主観的に見れば尚更そうである。私にはもったいない人たちばかりだった。事実もったいなさすぎて別れた人もその中にはいる。それが主な別れた理由というわけではないけれども。

食後の動悸が来ていて今現在も苦しい。動悸による苦しみだということは分かっておきながら、生きづらさから来ているのではないか、とやや考えもする。人に頼りたいところだけれど、頼れる人も今はいない。どうしよう、苦しい。私の救いは、苦しみを文章に起こして自分を慰めることができる環境があるということ。

結論はもう出ているので、ただうんうんって話を聞いてくれる人にこの内実を打ち明けたい。そういう感情がある。できれば普段あまり関わってない人が良い。そう、私をただの他人の、多数の中の1人だと見做してくれるようなそんな距離の人が良い。そこに要らぬ感情をよこさない人が良い。またなんて独りよがりな考えだろうとここまで書いていて思うのだけど、思うぐらいは許してほしい。

でも、1つここで明かしておくと、私は好き好んで苦しんでいる節がある。いや、生きづらさを積極的に感じたいとかそういうことではないし、この状況に好き好んでなったわけではないのだけれど、なんていうんだろうか、好きな人のためなら苦しめる状態に今ようやくなった、といったところだろうか。以前にも似たような状況にはなったことがあるのだけど、その時はあまりの辛さに耐えきれず、意味不明なまま気持ちが尽きてしまった。同じ、ということはあり得ないけど、また気持ちが尽きてしまったらどうしようという不安は少しあるのが正直なところ。しかし、そんな心配をよそに、私の気持ちはこれから何年も続いていきそうな気配があるし、以前感じた環境が大きく変わることへの恐怖だとかしんどさが今回はあまりない。全くないといえば嘘になるけれども。だから大丈夫なんだ。安心して良いんだ。

良い意味で淫靡さを感じない、そして背徳的だと思わない、すごくまっすぐな気持ちでいられる人と出会えて本当に嬉しい。もし、何もかもきっちりと方を付けられたら、この喜びを精一杯表現したい