Emu’s blog

よくある日記

認知し、言語化することの難しさ

最近コミュニケーションが上手くいかないと感じることがある。受け手が意図を読み取れないという問題は相手側の問題であるからさておき、はたして自分の思っていることをこの表現で伝えきれているのだろうか、という疑問が書くたびに(話すたびに)起こっている。もちろん読み手や受け手によって表現を変える必要はあるし、文脈的に短い言葉で伝わったなと感じる経験もあるため、絶対にこれで伝わるという確証が得られないのは分かりきっているが、少しでも誤解されることは減らしたいと思う。

私は自覚として会話中に自分の考えをまとめて話すことが苦手だ。すぐに思いをまとめられないし、そもそも話題を思いつくのも苦手なため、初対面の人にしてみれば話しにくい人だと思うだろう。だから手紙という形式で話すことも少なくないのだが、最近手紙でも苦手意識があることがわかった。話題に関してはわりと思いつけるのだけど、手紙はLINEなどと比較すると、結構な時間を空けてやりとりをするものだから、どんな文脈でやりとりしていたかを思い出せなければ、話を続けることができない。そういうわけで、どんな話をしていたかを詳細には覚えておらず、病気の症状として焦燥感がある中で前の手紙を注意深く見返すこともできずに返事を書いてしまい、相手を嫌な気持ちにさせてしまうことが最近あったので猛省している。(ただ、深く反省はしたものの今後失礼のないように書こうとすると、ハードルがかなり上がってしまい返事を書けなくなってしまった。どうしよう。話はしたいのだけれど)

ただこういった問題は、私だけが抱えているものではないと思う。とりわけ自分の感情を誰かに説明するのはどんな人であってもかなり難しいと思う。なぜなら人はバイアスの全くない状態で物事を見ることができない、つまり自分の認知がしっかりしているかも怪しく、単純な説明能力の問題として片付けることが困難だからだ。例えばこれは女性あるあるだが、PMSによるイライラを、「今抱えている問題が解決しないからイライラしているのだ」と原因を取り違えることがある。その状態で会話をしようとしても、怒りの矛先が違ったところに向いてしまう。この場合は認知が違っているので、自分の状況を話そうとしても正しくはない説明になる。

そして認知の問題が解決したとしても、次に説明する際の問題が浮上する。例えば認知行動療法のように現段階で感じられる複雑な感情を外在化する流れとして、感じられるだけの複数の感情を記述してみて、状況説明に利用したとしても、相手が想像の中でその観念を再現することはかなり難しい。具体的には、「怒りと悲しみと呆れのような3つの感情が7:2:1の割合で今起こっている」と説明されても、相手からすれば結局それってどういうこと?となる。感情の説明として結局どんな出来事でそうなっているのか背景を話す方が伝わる場合が多い。相手に適切に思いを伝えることは、本当に難しいのだ。自分の言葉遣いが誤っている可能性をまず潰さなければならない(これすら完璧にはできない)し、相手や状況に合わせて語彙を変える必要もある(よく知らない相手に対してはこれも難しい)し、話題によっては図を用意した方が早いこともある。一度で伝わりきらないときは相手が何を理解していないのか相手から聞く必要がある。面倒といってしまえば関係はそれで終わってしまうところを、分かり合えないときは丁寧にじっくりと手数をかけてやりとりしたいし、しなければならないと思う。ただそうは言っても時間や体力には制約があるし、相手が望まなければ分かり合えないまま終わってしまうこともあり、ああ、悲しいなあとなる。

なんだか愚痴っぽくなってしまったけれど、最近難しいなあとよく考えるので、書いてみたくなったのでした。

 

2024.4.4