Emu’s blog

よくある日記

二人は互いに孤独だった

ここ数日、私の内的世界は混沌としていた。それは貴方のせいもあるけれど、この時期だからという理由が大きいだろう。そこに貴方が現れる。全くもって本当に貴方は貴方だ。貴方は私をいつまでも苦しめるのか、どうして私は苦しいのかなどと昔考えていたことを掘り起こしたかのような錯覚。目眩がする。私の心はどうして分散されているのだろうか。何か物事ひとつに絞り込めれば良いのに、なぜかここにもあそこにも、季節外れのクリスマスツリーのように至るところに意識という飾りが世界という木につけられている。装飾的なことを厭えば良いのか、しかし、それを厭うということは自己否定に繋がりはしないだろうか。決して心が揺らいだということはない。縺れた糸を一生懸命解している最中であって、縺れていることを諦めたり、解す意思がなかったりしているわけではない。絡まった糸を解く時、過程としてその絡まりが余計に悪化しているような状態になることがある。まさに今がそんな時な気がしている。

貴方と連絡を取ってしまった時、チクリと刺すような痛みを覚えた。「あ…」これが罪悪感というものか。でもどうしてだろう、連絡を取っただけなのに。話をして、徐々にその罪悪感の出処が分かってくる。消えたと思っていたものがあったという発見をしてしまう。貴方への想いは確かに霞んでしまったのだけれども、全てがなくなったわけじゃなかったということがここで分かってしまった。甦る感覚。思い出。溜息が出る。

(この文章を読むであろう君を、また傷つけてしまうことは承知の上で、しかし自分と正直に向き合うことがきっと君のためになることを信じて書いている。)

私はいつも独りで、孤独で、貴方と出会ってからもずっとずっと独りきりで。でも、貴方も同様だったのだろう、と別れ際に言われた言葉で分かった。二人は互いに孤独だった。

暗い部屋に1人いて、過眠だった私はほとんどの時間を睡眠に費やしていた。寝るだけの生活は空虚でたまらなく辛かった。そこに貴方は僅かにいて、通話で「元気?」と尋ねてくる。いつもそうだった。私はいつも不調だったけれど、その「元気?」という言葉を聞く度に心が温かくなり、安堵した。

冬に会った時、繋いだ手をまじまじと見るなり、「白すぎる。病人みたい」と笑いながら言う貴方の顔を思い出し、夏に会った時の眩しすぎる太陽を思い出す。自転車に二人乗りすることを私は拒否して、二人で汗をかきながらトボトボと貴方の家へ向かった。ホテルの暗い照明の中で、激しく求め合ったことも覚えている。そう、貴方との思い出は明るすぎるか暗すぎるという極端な色彩を持っていた。そこにどういう意味があるのかは分からないけれど、忘れやすい私がこれだけ覚えているということはほとんど奇跡に近い。

でもね、貴方には悪いけれど、もうこれらは本当にただただ大事な思い出として残っているだけのものなんだ。これ以上の思い出は増えない。増やさない。増やしてはならない。貴方は貴方が以前言ったように「思い出の中だけでしか生きられない」。だから、私は最後の貴方の願いを受け入れることなく拒絶しなければならない。それがどんなに辛くても。なぜなら、もうどうしようもない関係だから。私は貴方を求めてはいないのだから。分かる?伝わっているよね。分かってはいるのに貴方は求めてくる。本当にタチの悪い人だと思う。

単に彼との関係を切るだけでも辛いのに、もうその準備を始めなければならない時期に来ていてそれだけで辛いのに、どうしてまた貴方なんて問題が出てきてしまうのだろう。そして不思議なのが、私は貴方のことを本当に愛していたのだけれど、貴方のことを考える時必ず体調を崩してしまっていた。辛くて気分が悪くなっていた。そこがやっぱり引っかかる。今、好きな人のことで悩んでもそういうことは起こらない。だから、やっぱり私と貴方では何か無理が生じている気がするの。貴方の世界では、まだ私という存在が前とあまり変わらずにそこにあるのかもしれないけれど、私の世界は随分と変わってしまった。…好きな人がいるの。分かっているでしょう。でも、貴方は分かっていながら未だに関わってくる。私は残っている情のせいで苦しんでしまう。どうかそっとしてほしい。でも、貴方はそのことも知りながら、求めてくるんでしょう…。

貴方が最後に伝えたいことを伝えられないままこの物語は終わってしまう。そうであるならば、この物語を閉じる前に、私に伝えてほしい。直接会って言うことは叶わないから、今ここで。ねえ。でも、それさえ叶わないまま、終わってしまうのだろう。だからこそ、世の美しい物語には意味があり、需要がある。貴方が言っていたように。