Emu’s blog

よくある日記

雲の向こうが晴れていようと土砂降りは今現実だ

何ともいえない寂しさに襲われる日々が続いている。「何ともいえない」とつけなくても、寂しさは何ともいえないものであるが、理由が思いつかず、やってきた寒さのせいだと思ってしまうあたり、「何ともいえない」感じがする。実際寒さによって、去年の記憶が蘇ってきたり、数年前の状態を回想したりしていた。あの人と手を繋ぐ時に「白すぎ、病人みたい。それに冷たい」と言われたこと。その時じんわりと温かな手が私の手を包んだ感覚。具合が悪くて過眠状態だった私にいつも「元気?」と訊いてきたこと。実家のPCの前で冬に向けてマフラーを編む私。キラキラと楽しそうに働く私。時系列はバラバラだけど、私というモノによってそれらは1本に繋がる。私はいつだって幸福だった。その幸福が今1人でいるこの状態を虚しく思わせる。今のこの状態だって幸せなのだけれど、たった今のこの瞬間は1人だからかなぜか辛いのだ。誰かと繋がっている時間は本当に幸せだけど、常に繋がっていたいわけじゃない。でも、たった今は誰かと寄り添っていたいようなそんな感覚がする。私はわがままだ。

天気が悪いと調子が悪くなる。だから、今不安感や虚無感を抱いていることは、よくあることだし納得する。けれど、落ち着かない今の状態をどうやってやり過ごせば良いか分からずにいる。そのうちまた大丈夫な自分になれる。でも、問題は「雲の向こうが晴れていようと土砂降りは今現実だ」。つまり、何もしなくても状態が良くなることは解りきっているが、今の辛い状態をどうすれば良いかが問題である。

何度も言いすぎてくどくなってきたのであまり言いたくはないのだけれど、私は今の人と残り少ない時間を共に過ごしている。もうすぐ別れるつもりでいるからだ。未だ冷めぬ彼を想う気持ちを、料理や、家事ひとつひとつに込めていた。そして、昨日「前に作ってくれたマフラーがもう毛玉だらけで使えなくなってしまったから、新しいものがほしい」と言われたので、「作ろうか?」と答えてしまった。眠っているであろう別の彼に悪いなという気持ちもあり、あまり力を入れて何か作ることはもうしたくはないと思っていたのだけれど、最後だから許してねと心の中で言う。

まだ今の彼のことが好きなら、もう一人の彼を諦めるべきでは?と読んでいる人は思うかもしれない。そういう風に見える書き方をしている自覚がある。けれど、私の心の中ではもう迷っている気持ちはなくて、環境さえ整っていれば今すぐにでも別れを切り出す腹づもりでいるぐらい、もう心に決めていることなのだ。それに、今の人より彼と過ごす時間の方が圧倒的に長くなっている。私の気持ちはもう変わらない。

好きで好きでたまらない。理性でいくら難題が多いと分かっていても止められない。恋とはそういうものでしょう。もう勢いに任せて恋をする歳でもないけれど、だからなんだと言いたい。まっすぐ見つめられる人、その人のことだけを想っていたいという感情、そんな稀有な感情の持てる人と一緒になりたい。今の人と付き合っていても、私はすぐによそ見をしてしまう。それはもしかしたら今の人だからかもしれないし、私がそういう性質なのかもしれない。どっちなのかは分からないけれど、そんな私でも好きになった彼に対してまっすぐな気持ちが持てること、その彼の嫌がることはなるべくしたくないと思えることはすごく大事なことである気がしている。今の人にはその気持ちがずっと持てずに苦しい思いをしたから…。

今日はあまり書きたくないことをあえて書いてみたけれど、これは人に見せるものではないなという気が大いにするし、多分読んでも面白くはないだろうから、あまり読まれずに流されることを願う。

書き方を誤ると印象が大きく変わってしまうことに私はもっと注意を向けなければならなくて、もし抱かれる印象が自分の望んでいるものと違っていてもそれを甘んじて受け入れる覚悟もできてなければならなくて、そんな中で、自分の微妙な感情のニュアンスを書く、伝えようとするということは危険な行為であるなと最近良く思うのだけれど、私の書きたい気持ちはその危機感より勝ってしまうようで、良くないなと思う。でもきっとそういう性質でなければ、自分は表現の世界に足を踏み入れることはなかっただろうし、諦めて「正しく」表現できるように努める他ないのかもしれない。

手足が冷える。足先が特に冷える。苦しみが私に纏わりついてくる。冷えが私の心をも冷やす。あなたの温もりを求めている。寒さのせいで誰でも良いような気がしてしてくるのを振り切って、あなたを求めている。それは本当に私にとっては稀なことなんだと強調したい。