Emu’s blog

よくある日記

冬の終わりの長い雨

日常をしたくなくなった。幸福に浸りたくなくなった。鬱だ。脱力して、何もできなくなる。いつものように目覚めるのが嫌で、目覚めると絶望した。いつも通りを押し付けてくる日常が嫌でたまらなくなった。かといって非日常を愉しむ余力もない。力なく横たわり、無機質なスマホの画面を触って、チカチカ光る絵や文字を眺める。

憂鬱になると、私は自然を欲する。草木を育てることがしたくなる。実際に憂鬱な時限定で育てるなんてことはできないので、嫌々スマホの育成系のアプリを入れて操作する。こちらの感情や思考を気にせず、どんどんとその対象物は育っていく。少しだけほっとする。

世の中が自分ひとつで何も変わらないことに安心することがある。もし、自分がいつものように動かなければ回らない世の中だったら、鬱に浸ることもできずに、場合によっては死を選んでしまうかもしれない。理由のある死はなんて小さいのだろう。理由がなくても自分の死とは、自分にとって小さいものだけれど。

ある医者曰く、食欲がないという状態は何も口にしない状態ではないらしい。食べたい物がない状態でとりあえず口に入れているという状態も食欲があるとは言えないらしい。グレーゾーンというやつだ。私の今の状態だった。食べ物を口に入れて何になるのだろう等と普段思わないような面倒臭いことを考えながら何かを口にする。何だったのか覚えていない。

どうして皆そんなに生活することができるのか不思議でたまらなくなることがある。時には頑張っているという自覚をし、苦しみながらしている人もいる。何かのためにしている人もいるし、自己目的的な人もいるかもしれない。人の行動のすべてが不思議に映ってしまう。典型的な鬱の時の思考だなと書きながら感じる。

調子が悪いのを冬の終わりの長い雨のせいにしている。しかし、これだけ文章を綴る元気がまだ残っているので、この鬱もそう長くは続かないだろう。回復するまで耐え忍ぶだけだ。

こんなに憂鬱な時でも書くことをやめなかった。少しだけ音もいじった。少しずつだけど、前よりも抵抗なくできることが増えてきた気がする。読書はまだまだ抵抗があるけれど、諦めずに触れていればきっとまた昔みたいに読める日がくるだろう。それまで何度でもやってみる。できるようにならなくても。意味なんてなくても。