Emu’s blog

よくある日記

薄い緑や青色の涼しげな色の珠が連なる

 天然石の丸ビーズが光を透過し、反射してキラキラと輝く。薄い緑や青色の涼しげな色の珠が連なる。とある文章を読んで私がイメージしたものだ。流麗だ。

 読んでそんなことを思う文章にはなかなか出会えない。上手さという物差しとも違うような気がする。知り得る限りの「上手さ」を飛び越えて私に美しい心の情景を思い浮かばせてくれる。

 その直後に私の小説を読むと、全く違う。当たり前のことだけれど、全然違う。過剰な意味性を排除した文だ。良くも悪くも飾り気が全くない。それはあえてそうしているはずなのだけど、時折その素朴さに田舎染みたものを感じてしまう。つまり、洗練されていない。私はこの小説で何がしたかったのか忘れそうになってしまう。そのぐらいとある文章が美しい。

 ただ闇雲に比較をして落ち込んだというわけではない。私の持っているものと、その人が持っているものは当然違う。その差異に改めて気付かされてはっとした。同じ良さは出せなくても、私にしか書けないものはきっとある。今は完全な形として表れていないかもしれないけれど、きっと書けると思っている。それが今の私の強み。

 今書いているのはもう10年以上も前の文体だ。取り扱う内容も今書きたいものとは少し違っている。10代の私に合わせて書くのは些か変な苦痛が伴う。表現したいことが今は他にもたくさんある。その欲求を抑え込みながら、昔表現したかったであろうことを綴る。けれど、それが正しいのか良く分からない。抑え込まなくても良いような気もしてくる。今私はきっと迷っているのだと思う。進みが悪いからプロットを作ったけれど、その通りに、そして10代の私になりきって筆を走らせることに疑問を抱いている。私は機械ではない。淡々と10代の自分を演じることに飽きてしまっている。ではどうしたら今の私が満足するのだろう。それはもしかしたら始めから書き直すことかもしれない。でも、そうしてしまったら、その物語は10代の私でなくなってしまう。私の残したかった形が消えてしまう。普通の小説ではないのだから、クオリティのためにそれをやってしまうのは本当にもったいない。でも、じゃあどうすれば納得するのだろう。