Emu’s blog

よくある日記

変わりたいのだ

切ない気持ちがとろとろと快活さを溶かしてゆく。不安感のある状態が続く。「どうしよう」と困っていると、貴方がそっと私を救ってくれる。LINEが鳴った時、本当に「これは救いだ」と思った。ますます好きになる。

あの人の上手な部分を吸収したくて彼の作った音楽をひたすら聴き、その特徴を自分の曲に活かすという作業をしていた。でもやっぱり私らしさが滲んでしまい、結局似ているのは本当に外側の一部でしかない。そのことに喜んで良いのか不満がれば良いのかも分からずにいて、私はただずっと「どうすれば縁を切られずにこの人の音楽を享受できたか」というどうしようもないことを考えてしまうのだった。変わらなきゃいけない。

そういえば、読みにくい本を読んでいたせいか、ネットで転がっている大抵の文章には躓かなくなった気がする。以前は病気の影響もあって、読むのにかなりの抵抗感があったのだけれど、ツイッターをやっているのと、おそらく音楽美学の本を読んだせいか読めるものが増えてきた。ブログもたくさん読んでいるし、小説も前よりは触れられるようになっている気がする。昨日は音響学の本にも手をつけたし、なかなか良い傾向だ。

ブログを書きながら、彼が眠っているのを感じている。かれこれ5時間半くらい通話を繋げっぱなしにしている。なぜそんなことになったかというと、通話を切るのがお互い嫌だからだった。相手のスマホのバッテリーに影響が出そうなことを除けば気にかかることがない。むしろ、存在を近くに感じられるようでとても心地が良い。毎日こうだったら良いなあなんて思ってしまう。ただ、時折この人にとって私はファム・ファタール(男を破滅に導く悪女)になってはいないだろうかという心配をする。ツイッターのフォロワーから指摘があって以来気にしていることだった。できればプラスになる存在でいたいのだけど、一緒に居たいあまり相手のやりたいことを妨害しているのではないかと考えてしまう。それはないから、と説明を受けてもやっぱり気になるものは気になる。そもそも遠距離なのがいけないのだろう。近ければ多分そんなこと気にならない。多分。

物音がした。ああ、彼がご飯を食べに行く合図だ。通話が切れる。私もシャワーを浴びてこようかなという気持ちになる。今日はまだ時間があるから、音響学をもう少しだけ進めたい。昨日久々に手をつけて思ったのだけど、勉強はやっぱり楽しい。一生続けたい。私は人に教えるということが苦手で、できればずっと「先生」ではなく「生徒」でいたいと思っていた。だから、あの人にその態度が気に食わないと言われたし、あの人からは子ども扱いを受けた。学ぶ姿勢というのは、基本「先生」を仰ぎ見る形になる。勉強をするということは、ずっと何かを目指して這い上がっていくようなそんなものだ。音楽の学校を出たからと言って、突然教える側に回るという周りの動きに私はついていけなかった。だから、今後も誰かに音楽をきちんと教えることはない気がする。それをやるだけの知識は持っていないように思えるし、何より私は勉強をしたい側だから。勉強をするということは、何か知識を得るということだけに留まらず、目に見える世界を広げていくことでもあるし、世界を測る物差しの数を増やすことでもある。変身願望があると言っても良い。変わりたいのだ。もっともっとより良くしたい。勉強はそれ自体が面白いから成果が得られなくても構わないというのが自分の考えだけれど、やるとそれなりに成果は上がるもので、音楽を作るときに役に立ったり、人と話をする時のネタや喩えになったりする。それもまた自分の生活を豊かにしている感じがあるのでやっぱり続けていきたいなと思う。まあ順序でいうと、「役に立つとは思わずに純粋に楽しいと思ってやっていたら、いつの間にか役に立っていた」という感じなのだけど。

夜も更けた。明日が来る前に、また貴方と話がしたい。